うちゅうリブ

メンズリブ的なアプローチで、さまざまな話題を語り合う「うちゅうリブ」の公式ブログです!

第11回「うちゅうリブ」実施報告 —本田透『電波男』読書会—

どうも、臨時主催人のケープラ(@maoukpp)です。第11回うちゅうリブの実施内容を報告します。

テーマ:『電波男』読書会

  • 人数:10名
  • 日時:2019/4/21(土)19:45〜21:45
  • 場所:新宿区大久保地域センター

色々と想定外の展開

電波男

電波男

注:本記事には一部『電波男』の表現が混入しています

こんなに人が集まると思わなかった。まず、ほぼすぐに定員埋まったのが想定外だった。それも再読・元々所有していた人間は少数派で、過半数はこのためにわざわざ購入して読んでもらったのだった。
2週間前くらいに主に参加者の『電波男』関連の発言をまとめた限定公開のTogetterを作ったが、そこで本に載ってない情報や批判点も出尽くしていて「これ改めて読書会で話すことあるんだろうか…」と逆に不安になった。
だがそこも想定外の盛り上がりを見せた。「主に1,4章を取り上げる」と告知では書いたが、実際には広範囲に取り上げることに。自由に喋ってもらい、ホワイトボードにそれぞれざっくりと「肯定的、批判的、未来へ」という3つの見出し(列)にしてまとめていった。

90年代から2005年までのオタクにとっての時代・世相を語る会

電波男』は2005年出版だが、ロマンチック・ラブ・イデオロギーだったり「90年代的価値観」が強い作品である。本田透は80-90年代に青春時代を送ったからだ。
本の著者だったり売れている芸能人などは大体30歳以上なので、このような言説には常に10年くらいズレがあるという気付きがあった。特に社会にとってボリュームゾーンであるアラフォー世代の言説は、どうしても声がでかくなる。だからそこから更に14年(干支の一回り以上)もすると一気に古くなってしまうのだなと。
話は多岐にわたり、第2章で語られる『電車男』だったり、『電波男』とは直接関係ないネタ(恋愛ゲームなど)の話でもとても盛り上がり、時間が足りなかった。というか2,3章のネタなんて無視されるとばかり思っていたYO!

批判的意見には、ほぼ議論の余地がない

予想通り、批判的な意見が7割くらいを占めた。告知記事でも書いたように、「オタク純朴論・無罪論」の源流になっているがこれは大嘘である、二次元に旅立つというオタク道は無理ゲーであるという意見は満場一致した。

  • 80年代フェミニズムについて言及があるが、なぜ90年代は無視されているのか?

という問いには、「当時はフェミニズムそのものが非常に弱く、オタクとも無関係だった(オタクが敵視する要素がない)」という回答が得られた。
このあたりは、ポリコレ・フェミニズム叩きが主流の現代オタクとは大きく違うトレンドで味わい深い。これは私の偏見で根拠はないが、もし『電波男』が2019年だったら本田透フェミニストを叩きまくっていたに違いないYO!

  • 本田透は女性に部屋を「掃除してもらうこと」がとにかく好きだが、これはなぜか?

という問いには、「掃除してもらうことが彼にとって渇望していた家族愛の象徴。(すさまじい毒親だった)母親は家事などやらず、いつも自分でやっていたのではないか」という推測でまとまった。

今やオタクがスクールカーストの下層で、学校などでいじめられやすい存在というのはもう過去のものになった。逆に、今はオタク内部の(それぞれのクラスタ内)カーストがある。人が増え細分化、範囲拡大したオタクの定義は、2005年とはもはや違いすぎて話が噛み合わない。今はオタク≠非モテであり、「オタクだからモテない」と開き直れず逆の生きづらさもある。
長くなりすぎるので省略するが、とにかく全般的に「図表や二分法などすベてが雑、身勝手・一面的な男目線」という批判が多かった。その通りで、本田透自身も美少女だけを選んで消費しているではないか(そういうゲームは美少女しか出てこないが)。自虐ネタな部分もあるとはいえ、逆にオタクを貶めているのではないかという批判もあった。
個人的に、若年世代で「萌え」は死語になっているという指摘は衝撃的だった。

電波男』の未来予測はほぼ外れたが一部当たっていたんだよ!!な、なんだってー!

一方で評価する声も。まず、色々と展開された未来予測図。オタクの定義・モデル、社会も変わり、的外れだらけに見えるが…。

  • 「(非モテは)愛がない状態が続くと喪闘気がたまり鬼畜化する」とあるが、まさにTwitterには鬼畜化したオタク=インセルが多く、悪い意味で当たっている
  • 「男の娘」文化は、自給自足の「ほんだシステム」
  • 「オタクがモテ趣味になる」という予測は当時の一般社会でというイメージとは違うものの、界隈・クラスタ内ではモテるので正しい

また、趣味は人それぞれなので、「脱オタ批判」には一理あると評価された。
評価する声には他にもこんなものがあった。

  • ここまで赤裸々に非モテ男の内面をさらけ出したものもなく、2000年代の史料的価値がある
  • 非モテ男の強烈なカウンターコンテンツ。ガス抜き、セラピーになっている

圧倒的文章力、勢い・熱さを評価する声はやはり多かった。あとがきでの急転(ギャップ萌え:死語)ぶりも、見事な構成だと私も大いに評価している。

電波男』をどう乗り越えるかという本題

未来志向の話があまりできなかったのが司会である私の時間配分ミスでもあったが、こじらせたオタクにならないためにはどうするか。このような異性叩きの誘惑をどう乗り越えるか。

  • リアルを大事にする(学校や仕事)
  • まともな交際をする(異性に限らず、人と向き合う)

という、きわめて常識的なまとめになった。当たり前のことを実践していくことが大事なのだろう。人生、年齢が解決することもある。
本田透の90年代の家父長制的・恋愛至上主義的価値観に対しては、

  • 今はリベラルな価値観が当時より広がり、オタクが虐げられる時代ではない。今後社会的圧力が弱まれば、非モテ・独身でもさらに生きやすくなる

という希望のあるまとめ意見もあった。

おわりに:「軽い」読書会の可能性

読書会には色々あると思うが、まずは難しい学術書や論文などをみんなで読み合わせる「勉強会型」があるだろう。次に、過激な意見、賛否両論ある本を取り上げ肯定派・否定派に分かれる「討論型」。
今回は「雑談型」というかきわめて通常のうちゅうリブに近い形だった。特に『電波男』は漫画、映画、ゲームなど引用作品が多いところも、盛り上がる要素だった。
一例を挙げると、第3章で梶原一騎『愛と誠』のモテない男の代名詞として紹介される「岩清水君」は今なら人気が出るのではないかという指摘も、時代を感じさせる。
というわけで、読書会というと固い本、真面目な本のイメージがあったがこういう本でやってもいいのだという発見があった。

最後に。本田透の今日は謎に包まれているが、はたしてこんな読書会があったと知ったら何を思うのだろうか。結果的に素晴らしい読書会になったので、彼への謝意で締めたい。