うちゅうリブ

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第5回「うちゅうリブ」実施報告 —平山亮『介護する息子たち』読書会—

こんにちは、環です。第5回「うちゅうリブ」の実施内容を報告します。

実施概要

会の流れ

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

『介護する息子たち』の終章「息子介護研究が照らし出すもの —男性学は何を見落としてきたのか」を扱う読書会ということで、私がGoogleドキュメントでレジュメを参加者の方に共有し、各自が事前に感想を書ける欄を用意しました。参加者のうち4名の方(事前に感想を書くのは手間なので、任意で、書ける方だけ書いてくださいとお願いしました)が事前にかなり詳細な感想を書いてくださり、当日までに読書会で話すべき論点を整理することができました。

当日は、まず、一人一人が本書の感想を話し、その後全体で終章についてフリートークする形式を取りました。各自の感想発表が終わった段階で、予定の2時間のうち、既に55分が経過し、本書に対する関心の高さが伺えました。その後のフリートークでは、本書と関連した参加者各自の当事者性に基づく語り合いが行われました。

ほぼ全会一致で出た話

いくつかの感想が、参加者の間でほぼ一致していました。

男性介護者に関する本書の内容は大変興味深かった

男性介護者に関わる問題を多角的に分析した本書の内容、特に介護当事者の声を紹介した三章は興味深かったという感想が多く出ました。

終章は他の章と性格が大きく異なり、困惑する部分も

一方で、終章は他の章と性格が大きく異なり、全体のまとめというよりは、「あとがき」に書いてあるように、平山さんが以前から抱いていた男性性や既存の男性学に対する問題意識がメインとなっている内容で、この章の内容をどう受けとめるかについては、参加者に共通して困惑が見られました。

「支配の志向」など、内面を決めつけるような用語の意図が不明瞭

終章に頻出する「支配の志向」や「支配の欲求」という言葉が、個人の気持ちレベルのことを言っているのか、或は無意識的なものを言っているのか、それとも社会的にそうだということを言っているのか不明瞭で、どう受けとめたら良いのかよく分からないという趣旨の感想が多くの方から出ました。

この点については、読者の当事者性を喚起するために敢えて内面に踏み込んだような言い方をしているという解釈も出ました。

終章で批判されている多賀太さんの論は確かにおかしなことを言っている

「女性が男性に稼得役割を望んでいるから男性が生きづらい」という多賀さんの主張には参加者に共通して拒絶感がありました。仮にこういった意思があるとしても、それは現在の社会状況と関連して起きるものですから、女性全体の気持ちレベルに還元する議論に説得力はなく、不要な男女対立につながりかねない危険なものだと思います。

本書が刺激する当事者性の射程

終章は当事者性を強く刺激する内容で、特に、現在パートナーに対して稼得役割を一人で担う(俗に言うと「養う*1」)立場にある男性は、怒りに近い強い反発を感じる部分もあったようでした。

また、これは私もそうなのですが、母親に甘やかされて育った男性は、男性は私的依存を「なかったこと」にしているという指摘にそう言われてみると確かにそうだと感じるところがあったようです。

一方で、終章の指摘に自分事としてまったくピンと来るところがない、と首をひねっていた方も複数いました。

また、自分の介護に関わる体験や、親戚の介護状況についても話が出て、本書の三章の分析は確かに妥当な部分が多い(特に、女性が介護参加を所与のものとされ、男性が介護参加するには特別な理由付けを要するという点について)と確認する機会もありました。

本書は当事者的な読みを強く喚起する本と言えそうです。

その他

本書で指摘される「関係調整というケア労働」はに本当に大事だという話が出ました。

ケアすることとは、相手の生殺与奪権がすぐ手元にある状態で、それを行使しないことであり、言い換えれば、支配者となる/支配者であることから「降りる」実践に他ならない。

男性とケアに関する上記p.250の記述について、ケアをすることが支配につながることもあるので、ケアすることと支配することは排他的関係ではないのではという指摘がありました。

*1:分かりやすさのために、括弧付きで書きましたが、「養う」という言葉には性差別的ニュアンスがあると認識しています。読書会の場でこの言葉は使われていません。