うちゅうリブ

メンズリブ的なアプローチで、さまざまな話題を語り合う「うちゅうリブ」の公式ブログです!

第8回「うちゅうリブ」告知 ―「イケメン」を整理してみよう―

皆様あけましておめでとうございます。
本年も「うちゅうリブ」を、よろしくお願いいたします。

改めまして、うちゅうじんです。
1月のうちゅうリブ、テーマはずばり、「イケメン」です。

第8回「うちゅうリブ」開催内容

テーマ
「イケメン」を整理してみよう

日時
2019/1/27(日) 17:30〜19:30(途中参加、退出可)
会場
大久保地域センター3階会議室C(東京都新宿区)
定員
16名(主催者2名を含む先着順)
会費
100円(会場費)
参加申し込み
Twitterで共同主催者の環@fuyu77またはうちゅうじん@jimmynicol88888のアカウントにご連絡ください(DMでもリプライでも可)。
Twitterアカウントをお持ちでない方は、メールアドレスuchulib@gmail.comまでご連絡ください。

テーマについての説明
他人に向けてよく使う言葉でありながら、自称する人は滅多にいない存在、それが「イケメン」。
よく使う言葉にもかかわらず、その定義がテーマ設定者の私にもいまいちよくわからなかったりします。
ただ、目に見える造作が大事なのか、所作が大事なのか、態度や考え方も含まれるのか。
いま一度、参加者の皆様と、その判断基準を整理したいです。

そして、私たちはイケメンのことをどのように見ているか。
手の届かない遠い存在と思っているか、はたまた敵視しているのか。
私たちが、そこまで他人を見て自分を卑下する感情はどこから湧いてくるのか。
なぜ、自分はイケメンでない、と断言できてしまうのか…

「イケメン」という言葉ひとつで、
私たちが、自身をどう見て、どのような評価を下しているか、
他人をどう見て、どのような評価を与えているか、
明らかになってくるところがあるかもしれません。

第7回「うちゅうリブ」実施報告 —ジュディス・バトラー来日記念!『ジェンダー・トラブル』読書会—

こんにちは、環です。第7回「うちゅうリブ」の実施内容を報告します。

実施概要

会の流れ

ジェンダー・トラブル』の第1章「〈セックス/ジェンダー/欲望〉の主体」を扱う読書会ということで、私がGoogleドキュメントでレジュメを参加者の方に共有し、各自が事前に感想を書ける欄を用意しました。参加者のうち6名の方が事前にかなり詳細な感想を書いてくださり(事前に感想を書くのは手間なので、任意で、書ける方だけ書いてくださいとお願いしました)、当日までに読書会で話すべき論点を整理することができました。

当日は、まず一人一人が本書の感想を話し、その後全体で第1章についてフリートークする形式を取りました。

最初は、本書は難解な側面もあるので、ややぎこちない形で話が始まりましたが、段々と温まって来て、中盤からはワイワイと盛り上がった様子で会が進みました。

メンズリブ男性学にはパロディ的反復が足りないのではという問題提起

読書会の話題は多岐に渡ったのですが、この記事では、特に盛り上がった流れを一つピックアップして紹介したいと思います。

パロディ的反復という戦略

第1章第6節「言語、権力、置換戦略」で、『ジェンダー・トラブル』のタイトルにもあるような、支配的性規範にトラブル(撹乱)を起こす戦略が語られます。その主要な類型として紹介されるのが「パロディ的な反復」です。

フェミニズムの性理論においては、セクシュアリティの内部に権力の力学が存在しているからといって、それが異性愛主義的、男根ロゴス中心主義的な権力体制を単純に強化したり増大させることではないことは明らかである。性的スタイルの歴史的アイデンティティである「男役ブッチ」や「女役フェム」の場合のように、同性愛の文脈にいわゆる異性愛の慣習が「存在」したり、また性差についてのゲイ特有の言説が増殖していることは、起源である異性愛アイデンティティティが千変万化に表出しているということではない。またそれらを、ゲイのセクシュアリティアイデンティティのなかに、有害な異性愛中心主義の構造が執拗に登場していると考えてもいけない。ゲイやストレートを問わず、性の文化のなかで異性愛の構造が反復されている場所こそ、ジェンダー・カテゴリーの脱自然化、流動化にとって必要な場所だと思われる。非異性愛的な枠組みのなかで異性愛構造が反復されることは、いわゆる起源オリジナルと考えられている異性愛が、じつはまったく社会の構造物であることを、はっきりと浮き彫りにするものである。だからゲイとストレートの関係は、コピーとオリジナルの関係ではなく、コピーとコピーの関係なのである。本書の第三章の終節で論じるが、「起源オリジナル」のパロディ的な反復によって、起源というものがそもそも、自然や起源という観念のパロディでしかないことが明らかになる。

支配的性規範と類似して見える事象を、抑圧の表れとしてではなく、当事者的撹乱の行為として捉え直すものです。このパロディ的反復によって、支配的性規範はその意味をずらされ、脱自然化、つまり当たり前のように感じられていたものが、その実はまったくそうではなかったということが明らかになります。

パロディ的反復の具体例としての「女のコスプレ」

参加者の方から、自分が実生活で行っているパロディ的反復のようなものとして「女のコスプレ」という言葉が出ました。性規範として社会的に要求されている「女」のイメージに、「今日は(主に装飾や気分の文脈で、敢えて)積極的になってみよう」みたいな感覚を楽しんでいるという趣旨の話だったと理解しています。

世の中をふたつに分けるとすると、綾波レイのような女のコスプレができる女(それは広義では、てらいなくモテる女の服装ができる女と言い換えることができる。むちゃくちゃだけど、私の中ではそうなんである)、と、そうでない女、になる。

女性に対して当然のように求められている性規範は、それだけではただの抑圧ですが、「コスプレ」と言うことによって「敢えて意識的にやっている」というニュアンスが鮮明になり、そういった規範はまったく「自然で当たり前のこと」ではないということが明るみに出ます。この点で、バトラーの言うパロディ的反復の一例と言って問題ないでしょう。

男は「男のコスプレ」とは言わない

一方で、これまでのうちゅうリブでも、男性のファッションに対する不自由さや抑圧感については度々話題に上がって来たものの、「男のコスプレ」という把握は共有されていないのではという問題意識が出て来ました。個人レベルでそういう感覚でやっている方はいると思うのですが、「女のコスプレ」のように、ある程度共有されている概念については、参加者の中でも具体例がほぼ出ない様子でした。

女性装/男性装と東洋/西洋の関係

「男のコスプレ」という発想が出て来ないことについて、参加者の方から以下のような仮説が提示されました。

女性装は、歴史的に男性装の要素を取り込んで発達して来たため、男性的な服装の女性というのはごく当たり前に可能で、転じて「女のコスプレ」という発想も出て来る一方で、男性装は男性装だけで成り立って来たため、「異物」が入ることを排除しようとするのではないか、と。女性が男性装をする場合と違って、男性が女性的な服装をする場合は、ファッションではなく、「女性そのものになりたい」という印象が出て来てしまうという指摘もありました。男性には男性装しかないのであれば、「コスプレ」も何もないということになるでしょう。

また、この男性装と女性装の関係は、西洋を取り込んで発展して来た東洋と、西洋だけで成り立つ西洋の関係に類比できるという話もセットで同じ方から提示されました。

苦しいだけの男性ジェンダー論の先に

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学

ここからは私の考えになりますが、これまでの男性学メンズリブは、伊藤公雄さんが提唱した「男らしさの鎧を脱ぐ」や、田中俊之さんの『男がつらいよ』という書名に表れているように、「脱すべき悪しき男性性がある」というモデルに終始して来たのではないでしょうか。この「悪しき男性性」は、バトラーも批判している第二波フェミニズムの「家父長制」概念に依拠したものです。

この点について、私は2つの問題点があると考えています。

  1. 男性が自らの男性性について過剰にネガティブな印象を持ってしまう
  2. 「悪しき男性性」を脱した先に何があるか分からない

男性もジェンダー・センシティビティを獲得しつつある現代において、ただ「悪しき男性性」から脱することを説くだけではなく、今後のメンズリブはよりアクティブで多様な需要に応えられるものになっていくべきだと感じています。

この読書会で出た、パロディ的反復の視点が足りないというのは突破点の一つになる観点ではないでしょうか。

いずれにせよ、読書会を通して、やはり『ジェンダー・トラブル』には、すべてのジェンダーに関心のある人々に対して、生き生きとした言葉を触発する効果があると、改めて確認することができたと感じています。

第6回「うちゅうリブ」実施報告 ―話題のワダイ―

うちゅうじんです。こんばんは。
遅くなりましたが、第6回うちゅうリブの実施内容を報告します。

●開催概要
・テーマ:話題のワダイ
・人数:11名
・日時:2018/11/24(土)17:30〜19:30
・場所:新宿区大久保地域センター

●テーマのおさらい
どんなに自身がジェンダーの問題に配慮しようと意識しても、日々暮らす「学校」「職場」「趣味のコミュニティ」等では、折り合いのつかないような話題に囲まれています。メンズリブ的なものに触れてから、普段の男コミュニティに戻ると改めて感じる「しんどい話題」が、多々あるのではないかと思います。
また、さまざまな人と対峙する際に、雑談するときのとっかかりが「天気」以外に思いつかないような、コミュニケーション能力の問題についてもとっかかりみたいなものを探していければと思います。

日々暮らしていくうえでの「話題」全般について、参加者と意見交換をしました。

●コミュニケーションの段階と話題
さまざまなエピソードを聞いたあと、「なぜしんどくなるのか」を参加者全員で掘り下げてみました。

はじめて会った、情報がほとんどない相手に、『お互いに敵意がないことの確認作業』として、「儀礼的」に、個人に関するさまざまな質問をしてくる人もいるということは念頭に置いておいた方がよいという意見がありました。つまり、そこはある程度割り切ってしまうことも大事、といえるでしょう。

この儀礼的な段階を「ステップ1」とすると、「ステップ2」として、『同じ価値観を持つ仲間であることの確認作業』として、恋愛や結婚、性の話題を掘り下げていく話題が出てくるのではないでしょうか。
この段階で「仲間ではない」認定をされると、性的志向に関する偏見にさらされたり、人間性を勝手に判断されたり、イヤな思いをすることが多くなってきます。おまけに、「まったくの善意で」仲間に迎え入れようと、あさっての方向のアドバイスを贈る人が現れると、気分はもっと重くなります。

また、さらに組織に長くいると、役割や序列が固定化されてしまい、『力関係の確認』のためのコミュニケーションとして、いない人間の悪口、という話題が出てきます。
悪口を言う人間は、たいてい立場が上の人間で、話し相手がそれに対抗できず、相づちを打つことしかできないのをわかっていてやっているのではないか、つまり相手に「マウンティング」しているわけです。

こういうものに日々囲まれて暮らしていますが、そうそう簡単に仕事やコミュニティを投げ出すわけにもいかず、ある程度線を引いて壁を作り、何とかしんどさをやりすごしている、というのが多くの人の実態ではないでしょうか。

●タブー
雑談の話題として、「政治」「宗教」「プロ野球」はタブーと言われていました。
プロ野球はともかく、政治と宗教はやはりタブーに近い話題で、議論自体が難解で、双方ヒートアップしやすいものではないかということで落ち着きました。

また、ひとつの例として、何度も何度も新興宗教の勧誘を受けてしまう人がいる、という話がありました。関係の浅い人に、わらをもすがる思いで自分の心の奥底にまつわる話をしてしまうと、たいていの人は距離を置いてしまい、残った人は宗教やマルチ商法の勧誘だったりするのでしょう。頭の片隅に入れておいた方がよいかもしれません。

●話が拡がる
ちょうどその頃、瀧波ユカリさんによる「ハラミ会」ネタがタイムラインを賑わしていたこともあり、男性コミュニティにまつわるエピソードから、対女性の場合どうか、という話に拡がりました。

対女性に対して、普通に仲良くしたいだけなのに、発言を恋愛的なニュアンスで解釈されないか、と構えてしまい緊張してしまう(コミュニケーションコストがかかる)という意見がある一方、むしろ、男性コミュニティの方が上記のマウンティングや圧力があり、相手に恋愛感情を持たないかぎり、最低限ハラスメントにだけ気をつければむしろ楽、という意見もありました。

なお、「ハラミ会」については、極端なかたちで戯画化されているものの、男性陣のセリフに露骨な女性排除やハラスメント発言がある、ということは一致しております。

●宿題
参加者から、ジェンダー論においては「男性は、人にものを伝えるのが得意ではない」といわれるが、そこを掘り下げて考えるべきか、という問題提起が最後に出されました。
これは、日々暮らすとっかかりの話題というテーマから一歩掘り下げて考えなければいけないところで、機会を見てうちゅうリブのテーマとして取り上げたいところであります。

第7回「うちゅうリブ」告知 —ジュディス・バトラー来日記念!『ジェンダー・トラブル』読書会—

こんにちは、環です。バトラーの来日を記念して、急遽『ジェンダー・トラブル』の読書会を開催することになりました!

第7回「うちゅうリブ」開催内容

テーマ

ジュディス・バトラー来日記念!『ジェンダー・トラブル』読書会

課題図書

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱

第1章「<セックス/ジェンダー/欲望>の主体」を扱います。難しい部分は適当に読み飛ばしていただいても構わないので、第1章に一通り目を通してご参加ください。

日時

2018/12/8(土) 19:45〜21:45(途中参加、退出可)

会場

大久保地域センター3階会議室C(東京都新宿区)

定員

10名(主催者2名を含む先着順)

会費

200円(会場費、レジュメ印刷費)

参加申し込み

お蔭様で今回は定員埋まりました。今回は参加できなかった方も、次回以降のご参加をお待ちしています!

Twitterで共同主催者の環@fuyu77またはうちゅうじん@jimmynicol88888のアカウントにご連絡ください(DMでもリプライでも可)。

Twitterアカウントをお持ちでない方は、メールアドレスuchulib@gmail.comまでご連絡ください。

課題図書設定の背景

12月にバトラーが来日して明治大学で講演を行うというビッグニュースが、突如舞い込みました。私は案内を見てすぐに12/11(火)の方の講演に申し込みました。

大きな講堂は驚くほどの人で埋め尽くされました。500人は軽く越えており、どうやら1000人近い来場者数だったようで、大盛況ぶりにびっくりしました。女性が多かったと思いますが、男性や外国人の方々も少なからずいて、老若男女の幅広い層が見受けられました。

前回の2006年来日の際も上記引用のように大盛況だったようで、バトラー来日というのは本当にすごいニュースです。

この機会に、バトラーの代表作である『ジェンダー・トラブル』を読み直してみよう(または、初めて読んでみよう)という企画です。

第1章で行われる重要な問題提起のいくつかについて、簡単に紹介します。

ジェンダーだけでなくセックスもまた社会的に構築されたものである

セックスの自然な事実のように見えているものは、じつはそれとはべつの政治的、社会的な利害に寄与するために、さまざまな科学的言説によって言説上、作り上げられたものにすぎないのではないか。セックスの不変性に疑問を投げかけるとすれば、おそらく、「セックス」と呼ばれるこの構築物こそ、ジェンダーと同様に、社会的に構築されたものである。実際おそらくセックスは、つねにすでにジェンダーなのだ。そしてその結果として、セックスとジェンダーの区別は、結局、区別などではないということになる。

生まれ持った生物学的性(セックス)と後天的に社会的に構築された性(ジェンダー)があるというのは、ジェンダー論の教科書的説明になると思いますが、バトラーはそういった二元論的区別を否定し、セックスもまた社会的に構築されているとします。

ジェンダーを撹乱するという戦略

本書は、男の覇権と異性愛権力を支えている自然化され物象化されたジェンダー概念を撹乱し置換する可能性をつうじて思考をすすめ、かなたにユートピア・ヴィジョンをえがく戦略によってではなく、アイデンティティの基盤的な幻想となることでジェンダーを現在の位置にとどめようとする社会構築されたカテゴリーを、まさに流動化させ、撹乱、混乱させ、増殖させることによって、ジェンダー・トラブルを起こしつづけていこうとするものである。

バトラーは、従来のフェミニズムの、家父長制社会を打倒するという戦略ではなく、覇権的ジェンダー規範をパロディ的に反復・撹乱することで、ジェンダー・トラブルを起こしつづけていくという戦略を提唱します。

詳細な議論は読書会の場で行いたいですが、バトラーの提示する刺激的な観点は、社会や生活の中で起きる、ジェンダーの問題が絡む事象に様々な解釈可能性を生み出す汎用性があります。

ジェンダー・トラブル』読んでみたいと思っていたけれど、難しそうで諦めていたという方も、バトラーに詳しい方も、どなたでも歓迎します!興味を持たれた方はお気軽にお声かけください。

第6回「うちゅうリブ」告知 ―話題のワダイ―

ご無沙汰しております。HNうちゅうじんです。
第6回うちゅうリブ、下記のテーマで開催いたします。

【テーマ】
話題のワダイ

【日時・会場】
2018/11/24(土) 17:30〜19:30(途中参加、退出可)
大久保地域センター3階会議室B(東京都新宿区)

【定員】
16名(主催者2名を含む先着順)

【費用】
100円(会場費)

【参加申し込み方法】
Twitterで共同主催者の環@fuyu77またはうちゅうじん@jimmynicol88888のアカウントに連絡してください(DMでもリプライでも可)。
Twitterアカウントをお持ちでない方はメールアドレスuchulib@gmail.comまでご連絡ください。

【テーマ設定に当たって】
うちゅうリブをはじめてみたり、Twitterジェンダーにまつわるさまざまな問題提起を見聞きし、私自身もたくさんのことを学んできました。

しかし、現実はどうか。

どんなに自身がジェンダーの問題に配慮しようと意識しても、日々暮らす「学校」「職場」「趣味のコミュニティ」etc.では、折り合いのつかないような話題に囲まれています。具体的には触れませんが、メンズリブ的なものに触れてから、普段の男コミュニティに戻ると改めて感じる「しんどい話題」、皆様も思い当たることが多々あるのではないかと思います。

一方で、ささやかな楽しみを得られる、いてもしんどくならないようなコミュニティというのも存在します。そのような「楽しい話題」のある場所では、一体どのような話が繰り広げられているのでしょうか。

そこで、参加者の皆様が暮らしていくうえでの「話題」全般について、語りあってみます。

ただの吐き出し場として使ってもよし、折り合いをつける方法を模索して見るもよし、自らが無意識で出している話題が他人にとっては実はしんどいものではという気付きを得てみるもよし、そして、さまざまな人と対峙する際に、「天気」以外の話題が出せずフリーズしないコミュニケーションのとっかかりみたいなものを探していければと思います。

皆様のご参加をお待ちしております。

第5回「うちゅうリブ」実施報告 —平山亮『介護する息子たち』読書会—

こんにちは、環です。第5回「うちゅうリブ」の実施内容を報告します。

実施概要

会の流れ

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

『介護する息子たち』の終章「息子介護研究が照らし出すもの —男性学は何を見落としてきたのか」を扱う読書会ということで、私がGoogleドキュメントでレジュメを参加者の方に共有し、各自が事前に感想を書ける欄を用意しました。参加者のうち4名の方(事前に感想を書くのは手間なので、任意で、書ける方だけ書いてくださいとお願いしました)が事前にかなり詳細な感想を書いてくださり、当日までに読書会で話すべき論点を整理することができました。

当日は、まず、一人一人が本書の感想を話し、その後全体で終章についてフリートークする形式を取りました。各自の感想発表が終わった段階で、予定の2時間のうち、既に55分が経過し、本書に対する関心の高さが伺えました。その後のフリートークでは、本書と関連した参加者各自の当事者性に基づく語り合いが行われました。

ほぼ全会一致で出た話

いくつかの感想が、参加者の間でほぼ一致していました。

男性介護者に関する本書の内容は大変興味深かった

男性介護者に関わる問題を多角的に分析した本書の内容、特に介護当事者の声を紹介した三章は興味深かったという感想が多く出ました。

終章は他の章と性格が大きく異なり、困惑する部分も

一方で、終章は他の章と性格が大きく異なり、全体のまとめというよりは、「あとがき」に書いてあるように、平山さんが以前から抱いていた男性性や既存の男性学に対する問題意識がメインとなっている内容で、この章の内容をどう受けとめるかについては、参加者に共通して困惑が見られました。

「支配の志向」など、内面を決めつけるような用語の意図が不明瞭

終章に頻出する「支配の志向」や「支配の欲求」という言葉が、個人の気持ちレベルのことを言っているのか、或は無意識的なものを言っているのか、それとも社会的にそうだということを言っているのか不明瞭で、どう受けとめたら良いのかよく分からないという趣旨の感想が多くの方から出ました。

この点については、読者の当事者性を喚起するために敢えて内面に踏み込んだような言い方をしているという解釈も出ました。

終章で批判されている多賀太さんの論は確かにおかしなことを言っている

「女性が男性に稼得役割を望んでいるから男性が生きづらい」という多賀さんの主張には参加者に共通して拒絶感がありました。仮にこういった意思があるとしても、それは現在の社会状況と関連して起きるものですから、女性全体の気持ちレベルに還元する議論に説得力はなく、不要な男女対立につながりかねない危険なものだと思います。

本書が刺激する当事者性の射程

終章は当事者性を強く刺激する内容で、特に、現在パートナーに対して稼得役割を一人で担う(俗に言うと「養う*1」)立場にある男性は、怒りに近い強い反発を感じる部分もあったようでした。

また、これは私もそうなのですが、母親に甘やかされて育った男性は、男性は私的依存を「なかったこと」にしているという指摘にそう言われてみると確かにそうだと感じるところがあったようです。

一方で、終章の指摘に自分事としてまったくピンと来るところがない、と首をひねっていた方も複数いました。

また、自分の介護に関わる体験や、親戚の介護状況についても話が出て、本書の三章の分析は確かに妥当な部分が多い(特に、女性が介護参加を所与のものとされ、男性が介護参加するには特別な理由付けを要するという点について)と確認する機会もありました。

本書は当事者的な読みを強く喚起する本と言えそうです。

その他

本書で指摘される「関係調整というケア労働」はに本当に大事だという話が出ました。

ケアすることとは、相手の生殺与奪権がすぐ手元にある状態で、それを行使しないことであり、言い換えれば、支配者となる/支配者であることから「降りる」実践に他ならない。

男性とケアに関する上記p.250の記述について、ケアをすることが支配につながることもあるので、ケアすることと支配することは排他的関係ではないのではという指摘がありました。

*1:分かりやすさのために、括弧付きで書きましたが、「養う」という言葉には性差別的ニュアンスがあると認識しています。読書会の場でこの言葉は使われていません。

第5回「うちゅうリブ」告知 —平山亮『介護する息子たち』読書会—

こんにちは、環です。共同主催のうちゅうじんさんが体調不良ということで、第5回うちゅうリブは私が単独で読書会イベントを企画することになりました。

第5回「うちゅうリブ」開催内容

テーマ

平山亮『介護する息子たち』読書会

課題図書

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

介護する息子たち: 男性性の死角とケアのジェンダー分析

 

終章「息子介護研究が照らし出すもの —男性学は何を見落としてきたのか」を扱います。本書を通読して参加していただくのが望ましいですが、お忙しい方は終章だけでも読了してご参加ください。

日時

2018/9/29(土) 17:30〜19:30(途中参加、退出可)

会場

大久保地域センター3階会議室B(東京都新宿区)

定員

10名(主催者1名を含む先着順)

会費

200円(会場費、レジュメ印刷費)

参加申し込み

お蔭様で今回は定員埋まりました。今回は参加できなかった方も、次回以降のご参加をお待ちしています!

Twitterで環@fuyu77に連絡してください(DMでもリプライでも可)。

Twitterアカウントをお持ちでない方は、メールアドレスuchulib@gmail.comまでご連絡ください。

課題図書設定の背景

男性学における新しい視座を切り拓いたとして話題の本です。うちゅうリブ参加者の間でも、既にこの本に目を通した方が私を含めて4名おり、興味深い本ということで見解が一致しています。

私もまだざっと目を通しただけなので正確な理解になっているかは怪しいですが、本書における重要な問題提起は、これまでの男性学は「夫としての男性」や、「父としての男性」には関心を払ってきたが、老いた母を介護する「息子としての男性」には関心を払って来なかった。このことは「男性性=自立・自律」という誤った理解に基づくものであり、女性に様々なケアを依存することによって成り立っている男性のあり方を「なかったこと」にすることによって成り立っているものだと指摘した部分にあると思います。

これまであまり注目されて来なかった「依存」や「ケア」の観点で、男性性を分析したことに本書の重大な意義がある一方で、終章の既存の男性学批判は手厳し過ぎるのでは、という意見も上がっています。

今回の読書会では、本書のまとめと既存の男性学への痛烈な批判が展開される終章を取り上げ、今後のメンズリブ男性学のゆくえを探る手がかりにしたいと思います。

本書の議論に賛同する方、疑問を抱く方、また、よく分からないけれどちょっと気になるという方も広く参加していただければと思います。興味を持たれた方はお気軽にお声かけください。